【後味の悪い話】アメリカ・西部開拓時代のドナー隊遭難事件

798 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/09/07(金) 23:54:44
アメリカ・西部開拓時代のドナー隊遭難事件 その1
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/mondo/m_05/m_05_1.html(悲惨な世界・第五章より)
1846年8月、ドナー隊はイリノイを後にした。
ただでさえ遅い出発であったにも拘わらず、彼らの馬車を牽くのは馬ではなく牛。
ノロノロとした砂漠の旅は困難を極め、ユタの砂漠を横断する過程で、既に5人が命を落とした。
ようやく山々が見え始めたのは10月下旬のことである。
冬はもうそこにまで来ている。この時期の山越えは自殺行為だ。
しかし、砂漠とシエラネバダに挟まれて進退極まったドナーは敢えて山越えを選ぶ。
この山さえ越えれば、そこはもう「約束の地」だからである。

10月30日、案の定、ドナー隊は遭難する。
場所は標高2000メートルのトラッキー湖畔。吹雪が凄まじく、馬車は雪に埋まり、
もうこれ以上先に進むことは出来なくなったのである。詮方なく、隊はここで冬を越す羽目となる。
住居の心配はない。丸太小屋の材料はまわりにいくらでもある。
問題は食料だ。果たして吹雪が止むまで、貧弱な牛の肉だけで間に合うだろうか?。
間に合う筈はなかった。食料の消耗は思いのほか早く、このままでは隊の全滅は必至だ。
捨て身の救援隊が組織され吹雪の中を旅立つ。
しかし、二度に渡る救援隊は、遂に帰ってこなかった。

12月16日、最後の救援隊が山越えに挑んだ。しかし、幸先はよくない。
2日目に怖じ気づいた2名がキャンプに引き返してしまう。
そして、クリスマスの夜、荒れ狂う吹雪が彼らを襲った。
「もう食べるものは何もない。彼以外には…..」。
そう云って、エディはドランを指差す。ドランは昨日から昏睡状態だった。
「なんてことを云うんだ、チミは」。

そう云いながらも一行は、いざドランが死ぬと、これを平らげてしまった。
この吹雪の中で5名が死に、生存者の胃の中に納まった。




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799 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/09/07(金) 23:56:17
その2
年は明けて1847年1月1日、誰も死なないので、一行は困ってしまった。
「駄目だ。もう我慢できない」。
大食いのフォスターは、先達を務める二人のネイティブ・アメリカンを
調理することを密かに提案する。これにゾッとしたエディが彼らに忠告したため、新鮮な食材は逐電。
「なにい、逃げたあ?」。
フォスターはエディの横っつらを張り倒し、ライフル片手に雪原を走る。
逃がすものかあああ。
昔、「ぼく、食べる人」というCMがあったが、今のフォスターはこれ全身「たべる人」。
その体力はどこにあったのか、瞬くうちに彼らに追いつく。
もうだめだあ。
精魂尽きて樹の根元に倒れ込む彼らの視界に入って来たのは、常軌を逸したフォスターの舌舐めずり。
間髪入れずにフォスターは二人の脳天を撃ち抜く。
この事件を機にドナー隊はフォスター組とエディ組に分裂する。
しかし、皮肉なことに、生き残ったのは二人を食べて体力をつけたフォスター組であった。

1月11日、フォスターたちはなんとか山を越え、
よろめきながらサクラメントのジョンソン牧場に辿り着く。
彼らは半裸の上に顔は血まみれ、人を喰って生き存えていたことは誰の眼からも明らかだった。
フォスターたちの報告を受けて、直ちに救助隊が組織された。
しかし、冬の真っ只中。無事に全員を救出できる保証はなかった。

2月18日、救助隊はトラッキー湖畔に到着した。
キャンプ地ではまだカニバリズムは行われていなかった。
しかし、状況は惨澹たるもので、いくつもの屍体が野ざらしにされていた。
衰弱した生存者たちには死者を埋葬するだけの体力が残っていなかったのだ。
不幸なことに、救助隊の食料も底を尽き始めていた。木乃伊取りが木乃伊になるわけにはいかない。
とりあえず、自力で山越えができる者だけを救出することにした。
選ばれた24名は半死半生でサクラメントに辿り着いた(うちの2名が途中で死亡)。
しかし、残された32名の運命はより悲劇的なものとなった。
救助隊は彼らに食料を残していくことが出来なかったのである。

800 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/09/07(金) 23:57:27
その3
3月1日、第2救助隊が到達した。恐れていたことが現実のものとなっていた。
救助隊がまず見たものは雪原に横たわる骨格標本。
救助隊に近づく男は、悪びれるでもなく誰かさんの脚を腰からぶら下げていた。
この脚のかつての所有者はジョージ・ドナーの弟、ジェイブ・ドナー。
夫人は夫を食べることを拒否したが、子供たちには切り分けて食べさせていた。
救助隊の食料不足は前回と同様だった。救出できたのは女子供を含めた14名だけだ。約半数である。
しかし、彼らも救出されたと喜んではいられない。激しい吹雪が襲い、食料はあっと云う間に底を尽いた。
7歳になるメリー・ドナーが無邪気に云った。
「また死んだ人を食べなくちゃね」。
1時間もしないうちにグレーブス夫人が跡形もなくなった。
彼女はその乳飲み子が寝かされた横で解体された。結局、11名が救助されたが、
ショックのあまり自らの体験を語ることは出来なかった。

一方、トラッキー湖畔のキャンプでは、ジョージ・ドナーの家族を中心とする十数名が3回目の救助隊を待っていた。
さて、ここでルイス・ケスバーグが登場する。彼は完全に狂っていた。
しかし、ジョージ・ドナーが凍傷で死にかけている今となっては、彼が事実上のリーダーである。
次の救助の到着まで、彼らは嫌でもケスバーグの指示に従わなければならなかった。
或る日、ケスバーグは4歳になるジョージ・フォスター(前述した大食いフォスターの子)を
自分の横に寝かせた。翌朝、ジョージは冷たくなっていた。
誰もが殺人を疑ったが、ケスバーグは自然死だと云い張った。
そして、屍体を逆さまに吊るして、ナイフを研ぎながらこう云った。
「さあ、早く食べようぜ」。

3月13日、第3救助隊が到着した。生存者の半分が食べられていた。
ドナー夫人は重体の夫を残していくことを拒んだ。結局、雪解けまでこの地に留まることとなった。
夫人一人では心配だからと、ケスバーグも残ることとなった。彼を残すことが一番心配だったが、
今回は食料を十分に残しておくことができたので、よもやそんなことはあるまいと高を括っていた。

801 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/09/07(金) 23:58:14
その4
4月17日、最後の救助隊がこの呪われた地を訪れた。生存者はケスバーグ一人だった。
「ドナー夫人は何処だ?」。
「そこにある」。
見ると、そこには大きな鍋二つに波々と血が満たされ、
切り取ったばかりの肝臓がフライパンの上で調理されていた。
「残りは喰っちまった。これまで喰った中で、彼女が一番旨かった」。
ケスバーグの小屋を捜索すると、なんと、牛の肉も見つかった。前回の救助隊が置いていった干し肉だ。
ケスバーグは極限状態で夫人を喰ったわけではなかったのだ。
「どうもこの干し肉はパサパサで、俺の口には合わないんだ。人の肝臓の方がよっぽど旨い。
 それに脳味噌ときたら、そりゃあもう、スープにすると最高だぜ」。
呆れた救助隊はケスバーグを拷問にかける。しかし、彼はとうとう夫人の殺害を認めなかった。

それからの彼は、あのドナー隊の最も血塗られた生き残りとして、カリフォルニアの名物男となった。
彼は酔うと決まってドナー夫人のノロケ話を始めた。
「柔らかい、いい女だったあ。俺はあの女から4ポンドもの脂肪を煮出したものさあ」。

1850年代初め、ケスバーグはステーキハウスを開店した。宣伝文句に曰く、
「最上の柔らかい肉しか扱いません」。

802 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/09/08(土) 00:09:09
>「なんてことを云うんだ、チミは」。
だめだ、吹いたw
817 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/09/08(土) 03:31:19
何が後味悪いって、今回は食料が十分にあるからとか思って
ケスバーグを女と病人と一緒に残していく救助隊の迂闊さだよな
4歳児を殺したのも明らかで誰から見ても狂人だったっつーに
俺がドナー夫人なら頼むからそいつを置いてくなって泣き喚いてるよ
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[ 2016/10/22 22:10 ] 実話・体験談 | TB(0) | CM(0)
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